令和5年報恩講11.24
11月24日午後1時 報恩講
大島義男師の御法話から始まりました
今日の報恩講は、自分に縁ある亡き人やご先祖が、知らず知らず私共に働きかけて下されたから、皆さんは此処にお詣りされたのではありませんか。
父母や祖父祖母が、このご本堂にお詣りされている姿の記憶が皆さんを此処に導いて下されたのかもしれません。
仏教では私たちの行為を業と言う。業が深いとよく言いますが、それは自分の行為は単に自分の意思だけでなく、父母や祖父祖母の影響あってのものだと言うのです。
今、私たちが此処に報恩講を勤めていることは、南無阿弥陀佛の長い歩みがあったからこそ、亡き人から受け継いだ歴史あるからこそ、の一歩なのです。
私の一歩が、先人たちも歩んだ仏道の歩みに他ならないということ、それを業が深いと教えてくださるのです。
亡き人と私が出会い、又、次世代の子供たちとも出会い続けられる場所、それが報恩講、この御本堂なのです。
(住職聴記)
住職御代前首座より登高座
コロナ禍の報恩講は、少人数の法中だけお招きしての勤行でしたので出来なかった、久しぶりの登高座が叶い喜びひとしおでした。
調声は本照寺住職に お願いし、また結讃は専精寺副住職を頼みました。お二人は落ち着いた張りのある発声でお勤め下されました。
鐘役は西極寺住職
文類正信偈の間に外陣ではお焼香が回されます。
最後に恩徳讃を唱和したのち散会となりました。
法中とお世話方との集合写真です。
皆様また来年の報恩講もよろしくお願いいたします。
御参詣を心よりお待ち申し上げております。