写真巡り1 境内 

正門

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大正時代の建立で、詳細は不明ながら、本元寺で最も古い建造物です。東日本大震災の時、被災したので、瓦の修繕と補強工事を行いました。

 

本堂

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昭和五十五年三月、ご門徒皆さまのお蔭により建立された鉄筋コンクリート二階建てのご本堂です。一階は法事や行事の待合、法中(お寺さん)や世話方の会議、学習会、聞法会などに使用しています。

二階ご本堂では、仏事法要の勤行が執り行われます。

 

本堂額

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昭和五年 前ご本堂建立の額
「照耀十方」(大無量壽経上巻)
仏智のひかりは、三世を貫き一切衆生を照らす
いつの時代のどのようなところに在ろうと、仏さまのひかりは届いています。
良寛和尚は子供達に教えられた「ののさまは、見てござる」
聖人は正信偈に述べられた「大悲無倦常照我(だいひ、ものうきことなくて、つねに、わがみをてらすなり)」と。
表彰碑と同じく、大谷瑩潤師(真宗大谷派連枝)の遺芳。

 

門柱

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昭和二十八年に本元寺となった時の寺号。文字は書家 山本隶水氏の遺芳。

 

石碑

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境内入って左側の表彰碑は、昭和五年、上越新井(新潟県妙高市)から木造七間四面のご本堂移築を記念して建てられたものです。
背面に輪番(本山使命 浅井貫口)と当時の大勢の世話方の芳名が刻まれています。
題額は佛閣基固。大谷瑩潤師(真宗大谷派連枝)の遺芳

書院茶室

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昭和三十八年ご新門来臨の折、ご休憩所として建て増ししました。
正面茶室 右手書院  書院三室は行事のとき、法中の控えの間となります。

下の額は、昭和三十六年のご巡回で第二十四代門首(大谷光暢師)来臨の折、揮毫いただいた遺芳です。
「至誠心(しじょうしん)」とは、観経に説く往生の正因すなわち三心の一つで(他は、深心と廻向発願心)、真実の心をいいます。外に賢善精進の相をなし、内に虚仮を懐いてはならぬ、と善導大師は教えられます。
末尾の署名はご門首の号「愚郊」で、愚の字は親鸞聖人の愚禿に倣われたようです。

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2011年3月11日の東日本大震災により、当寺の鍾楼は、四本の鉄筋コンクリート製の柱のうち三本に深い亀裂が入り、倒壊の危険のため止むなく取り壊しとなりました。戦時中の供出後、昭和28年11月、廣田松郎・廣田金一両氏の御寄贈により再建されたもので、誠に遺憾に思われます。毎朝の時の鐘として、近隣の方々には親しまれておりましたが、現在は、正面玄関外左側に安置されております。

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