写真巡り2 本堂 

御本尊(阿弥陀如来様)

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以前の木造のご本堂と共に、上越新井から来られた阿弥陀如来立像で、江戸時代末期の作のようですが、作者共々詳細は不詳です。

観無量壽経の第七観「住立空中尊」のお姿をあらわし、衆生を急ぎ救おうとお立ちになられた立像で、後光と蓮華台の葉の数は四十八。弥陀の本願を意味します。

限りなき「いのち」と「ひかり」のほとけさまです。お心は慈悲に満ち満ちておりますが、ほとけさまの前に座す時、私どもの姿はどのように照らし出されるのでしょうか。

本堂内部

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中央上部は本元寺の山号額「東陽山」で、東本願寺第二十四代門首(大谷光暢師)の染筆。
最近、ご門徒が椅子をご寄付くださいました。脚が楽になった、と皆さまに好評のため、住職も悦に入り説教が長引いているやにおもわれます。
報恩講や永代経などの行事では椅子が足りず、前の方は座布団に座るため、阿弥陀様をありがたく振り仰ぐ姿勢になります。お世話方は我先に座布団に進み、お参りしています。

 内陣(普段の様子)

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写真手前左右に、横に畳が敷かれています。この向畳(むこうじょう)は、親鸞聖人(ご本尊の向って右奥)の真向かいで、ご門首の座られる畳です。蓮如上人(左奥)の向かいにも、ご新門の座られる向畳があります。
向畳があるのは、ご門首、ご新門が来られたお寺だけです。昭和十四年と三十六年にご門首のご巡回をいただき、

前列椅子席中央がご門首

image.jpeg 写真提供 飯玉町 藤井スエ子 様

 

さらに昭和三十八年にご新門を当寺はお迎えしました。(本元寺縁起参照)           

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この時に、奥の書院をご休憩の間として、一棟建て増ししました。
格別の用意と献身を必要とするため、ご門首、ご新門の来臨を仰ぐことのできるお寺は非常に少ないようで、向畳があることは当寺の誇りです。
向畳に直角に、奥に敷いてある畳を竪畳(たてじょう)といいます。法中が集まる儀式のときに、左右向かい合わせに並んで座ります。当寺では、左右それぞれ五人詰で出仕をお願いしています。
報恩講のお参りの折、ぜひ、その様子をご覧ください

 

聖徳太子・七高僧 お掛け軸

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 左が聖徳太子さまです。本朝に、仏教の教えを迎え入れ、広めることにご尽力くださいました。聖人は「和国の教主」と讃仰されました。「十七条の憲法第二条:篤く三宝を敬え、三宝とは佛、法、僧これなり」は有名です。このお姿は「十六歳孝養像」と云われます。父、用明天皇の病に際し、衣帯を解くことなく日夜看護につとめ、香炉を執って平癒を祈請されたという図です。

右は、七高僧の方々です。左上、天親菩薩(印度)右上、龍樹菩薩(印度)真中、曇鸞大師(中国)左中、道綽禅師(中国)右中、善導大師(中国)左下、源信和尚(日本)右下、源空(法然)上人(日本)の七名です。浄土教(南無阿弥陀仏の教え)を親鸞聖人のところ(つまり私たち門徒のところ)にまで、教え伝えられた善知識の方々です。このご恩を常に忘れず、念仏を称えて報いようとされたのが、聖人の一生涯でした。ご門徒がよくお勤めになる、聖人が著された「正信偈」の後半は、七高僧のお話です。

善知識の方々については、「お経・仏事解説」浄土の七高僧をご参照ください。

釈迦涅槃像とお厨子

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涅槃像は真宗寺院では珍しいものです。 

昭和六年ごろ、碓氷川岸辺の畑の中から出土した釈尊涅槃像です。お寺のお世話人のご縁により、厨子と共に奉納されました。

本堂一階

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法事の待合いに使われ、ご門徒にはお馴染みの間ですが、長押の下に正信偈の一節「大悲无倦常照我」がみえます。

諸会議 聞法会 同朋の会などにも利用されます。