報恩講荘厳

中尊(ご本尊)前 報恩講荘厳

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十一月二十三・二十四日は、一番大切な年中行事「報恩講」です。中尊前(ちゅうそんぜん)は、赤い鳳凰の打敷を掛け、五具足でお荘厳(お飾り)します。
報恩講以外は、中尊(阿弥陀様)前も他も、当寺では三具足(向かって右にお灯明、真ん中に香炉、左に華瓶の三つを飾ること)です。
この写真では、左右に鶴亀の蝋燭立てと華瓶があり、真ん中に一合の火舎香炉(普段は土香炉)があります。
不鮮明ですが、向って右の鶴亀は口を開き、左のは閉じています。阿吽(物事の最初と最後を表す)となっています。
お参りの折、ご確認ください。

祖師(親鸞聖人)前 

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聖人のご命日は十一月二十八日です。大谷派(お東)では、新暦で報恩講をお勤めします。群馬組内の各寺院では、法中(お寺さん)を相互に招き、多人数で法要をするため、各寺日時を変えて行います。日程は毎年決まっていて、当寺は二十三、二十四日の二日間です。群馬組内最大の人数で、最長時間(一時間と少し)の勤行となっています。住職が拝読している「報恩講式文」は、ご本山でも微音速読の作法なので、ご門徒の皆さんは、本元寺以外では、その内容を聴きとることができないとおもわれます。また、二十三日に副住職が拝読している「御伝鈔」も、組内では当寺のみの式次第です。両日、ぜひ、お参りください。

聖人御絵伝 右余間(ご本尊に向い左側)

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親鸞聖人御絵伝(右巻一、左巻二)

当寺の御絵伝は全四幅、江戸時代末の伝来です。福井の西德寺(本元寺縁起参照)に伝わり、開基北條洞之のご縁で、昭和十五年に当寺の宝物としました。明治中期と平成二十五年の二度、修復がなされています。
御絵伝とは、親鸞聖人の一生涯のご苦労を絵に描き、伝えて、そのご恩を偲ぼうと、報恩講の時、余間(内陣左右の部屋)に掲げるお掛軸です。物語は、下から上へと描かれています。ご覧になる時は、下から上へ、右から左へとお進みください。また、二十三日拝読の「御伝鈔」を併せてお聴きになると、わかりやすいとおもいます。
この二幅は、第一幅(右)と第二幅(左)です。

1・2
第一幅の始まりは、京都粟田口の青蓮院門前の図で、聖人ご出家の場面です。桜三月「明日ありと 思ふ心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」の御決意のもと、かぞえ九才の春の日でした。

第二幅下から二段目、法然上人吉水の禅房、弟子問答(信心と行とどちらがより念佛の肝要か)の場面、その結果、聖人と法然上人を含む数名が信心第一「信不退」の席に。縁側に遅参の熊谷直実(十五歳の敵武将敦盛の首を挙げた後、無常を痛感し法然上人に弟子入り)も信不退に就く。

親鸞聖人御絵伝(右巻三、左巻四)

3・4

第三幅下から二段目、吉水教団に対する御所仁壽殿での詮議の場面。左に節目のある真直ぐな、内側まで透き通る竹を描くことで、なぜ正しい評定がなされなかったのか、と抗議の意をあらわしています。その上は流罪となっていく、法然上人、親鸞聖人。

最後は第四幅上段 命終され鳥部野で荼毘に付される図と、本願寺の始まりとなった吉水北辺の祖廟が描かれています。
毎年、当寺報恩講は、四幅の御絵伝のお荘厳と共に「御伝鈔」上巻と下巻が、交互に拝読されます。ぜひ、お参りください。

 「正信偈」と「文類正信偈」(報恩講の勤行)について

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 上「正信偈」 下「文類正信偈」 

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「正信偈」は弥陀の本願念仏を十方衆生に勧め
「文類正信偈」はその願成就して信心の人の誕生を慶ぶ

本元寺報恩講結願日中(御満座法要)のお勤めは古来の次第に則り「文類正信偈」を読誦致します。この型通りのお勤めは、県内他寺では「正信偈」へと変更されているところが多数です。ご門徒方が一緒にお参りできるからでしょう。また一座法要の場合は皆さまに馴染のある「正信偈」の方がよいのでしょう。
拙寺では逮夜法要で「正信偈」、結願日中にて「文類正信偈」を読誦致します。それは、弥陀の本願念仏を十方衆生に勧めて下された聖人の教え(「正信偈」)により、今日この報恩講結願の本堂に、弥陀の本願が成就し信心の人が誕生したことを慶ぶ(「文類正信偈」)、ということを表しているのです。
型通りの次第には変え難い意味が伝承されている、と考えておりますので本元寺ではこれからも八百年来の作法を継承してゆきたいと思います。
本山でも聞くことのできない「式文」拝読をはじめ「御伝鈔」拝読「文類正信偈」読誦、伽陀四章などが勤まるのが本元寺報恩講です。式次第の簡略化により世の中から失われつつある作法がここにはあります。
どうぞ皆さまお誘い合わせて来年もご参詣ください。