令和2年5月永代経法要 5.25

コロナ禍中の永代経法要にて思い出された言葉

私は目が見える事 耳が聞こえる事
当たり前だと思っていた
恥ずかしい事でした (中村久子)

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令和二年五月二十四日午後一時 永代経法要

登高座 伽陀 表白 阿弥陀経 下高座 

(二十三日午前 大無量寿経読誦 二十四日午前観無量寿経読誦)

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全員入堂前に手指消毒 マスク着用 ソーシャルディスタンスを守っての着席

 本堂内私語は禁止 これがこれからの法要スタイルかもしれません

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 下高座後祖師前複座 正信偈 念仏讃淘三「弥陀成仏のこのかたは」次第六首 回向願以此功徳

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 少人数ながら確かなお勤めが出来ました。有難うございました。

 

 冒頭の言葉は、明治時代飛騨の山村に生まれ、幼少にして四肢を凍傷で失い大変な苦労をしつつも家庭を営み、子を育て、人生を深く生きられた中村久子さんが、ヘレンケラー女史と初めて会われたときのものです。
三重苦の女史は久子さんを訪問された時、手探りで部屋を進まれ彼女の体に触れた時思わず抱きしめポロポロとなかれ、「大変な人生を歩んでこられたのですね」と。

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一方の久子さんも、女史が入って来られた様子や呼びかけても返事のないことから目や耳が不自由なのだと気付いていました。
しかし自分は涙一つでなかったし、女史のご苦労にも思い至らなかった。なんと情けないことだ、と瞬時に悟られて述べられたのが冒頭の言葉です。
人生を深く生きたお二人の出遭いの場面です。
女史は「久子さんの不幸は私より大きいが、彼女の人生は私より尊い」と述べられていたそうです。

コロナ禍中「自粛疲れ」と聞いたとき、なぜかこの言葉が思い出されました。