平成30年2月涅槃会
二月十五日 涅槃会には境内の白梅が咲き始めました。
西行法師が、釈尊入滅の二月十五日(陰暦)に詠まれた「願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ」の歌は、現在の太陽暦では桜の季節となりますが、平安時代(上代)では花は梅のことでした。とするとこの白梅もまた、涅槃会に相応しい趣をそえているように思えます。
昭和六年頃、碓氷川岸辺の畑より出土したお涅槃像 ご縁で右余間に安置されていますが、二月のみ開帳されております。
本年の本元寺涅槃会は二月十八日に勤められ、参詣者お一人ずつ焼香いただきました。
お文二の四拝読後、住職の法話
「頭北面西右脇臥」の釈尊のお姿は、弥陀の西方浄土をご命終の折、想われていることを表されています。本元寺内陣の荘厳のように、入滅の釈尊の眼前には、西方浄土の光明が満ちていたのではありますまいか。そのことを、蓮如上人は「弥陀一仏に帰命する衆生をば、いかにつみふかくとも、仏の大慈大悲をもって、すくわんとちかいたまいて、大光明をはなちて、その光明のうちにおさめとりまします」すなはち「光明遍照 十方世界 念佛衆生 摂取不捨」(観経)と説かれていることを思い出された、と二月十五日の夜このお文にしたためておられます。
感話は笹谷氏にお願いいたしました。
最近三人の親しい方を亡くされて思われたことを話されました。
真面目誠実に歩まれたその三方には、親の背を見て育たれたそれぞれ立派な後継者がおられること、人が育つということは、先に歩む者の責任であることなどを語られ、ご自身も、もうひと踏ん張り世の中のお役に立ちたいと実直に述べられました。
二月の法語カレンダーの解説を読み合わせたのち、座談。
涅槃会ですので、お供えの団子を皆さんと美味しく頂きました。
所要にて住職は中座いたしましたが、さらに皆さんの談笑は続いていたようでした。
また来月彼岸会も皆さまおまち申し上げております。