令和元年 親鸞教室 6.20
6月18日14時 於本堂広間 女性聞法会 講師 大島義男師
三帰依文の後『真宗聖典』をテキストに講義が始まりました。
蓮如上人のお文や聖人のご和讃の中で女性差別と批判されている文言を考えるに、誤解されていると思われるものが多々ある。
例えば、「三世の諸仏も捨てられたる女人」の表現は女性を救い難いと云っているのだと理解するのは、聖道門的救い、即ち個人的苦悩からの救いと、一切衆生を救わんという念佛の救いとの混乱があろう。
蓮如上人は、女性が自分一人の個人的な苦悩のみならず、子や孫のことまで自らのこと以上に苦悩することを「業が深い」と云う。故に、聖道門の一個人を救うそれまでの教えでは、女人は救われないと。なぜなら、女性の苦悩は個人的なものを遥かに越えた深いものなのだから。
念仏は無上道(上下のない平等の教え)、すなはち私たちを上から救い上げるのではなく、下から支える救いである。釈迦と弥陀の二尊が、東から発遣し西から招喚する平等な大地、すなはち個ではなく一切衆生を救わんとの教えである。
たとえ上から救い上げようとする三世の諸仏(聖道門の教え)が捨てようとも、無上道の念仏の教えは女性の深い苦悩をその下から支え続けるのである。
この事を説くときに、先の「三世の諸仏のすてたる・・」の表現があったのである。(住職聴記)
「上から救い上げる」とはその人の苦悩を無くしたり改善したりすること、「下から支える」とはどのような苦悩の中にある人も苦悩を背負い歩めるように支えることです。
お念仏は苦悩を無くす道ではなく、苦悩を背負えるように支えてくれる道なのです。
無上道(念仏)と有上道(聖道門)との違いや、弥陀一尊でなく釈迦弥陀二尊の教え(発遣と招喚の教え)であることなど、難解な用語や概念に関する質問が多く出て時間が足りませんでした。次回の課題とさせて頂きます。
恩徳讃斉唱にて16時半に閉会となりました。またの参詣をお待ち申しております。