六月親鸞教室
親鸞教室(女性念仏聞法会)
六月二十七日、午後一時半より、真宗大谷派群馬組親鸞教室として、
女性念仏聞法会が本元寺にて開催されました。
参加者は約四十名、女性参加者がいつもより多く四割ちかくを占めました。
先ず、ご本堂で、正信偈 同朋奉讃 回向、の勤行から始まりました。
半数の方々は、勤行本なしでご唱和されていました。
これも、群馬組親鸞教室の三十年に亘る伝統のあらわれといえます。
午後二時十五分、本堂広間で講師大島義男先生のご法話が始まりました。
初めに皆さんと三帰依文を称えます。
先ず先生は、お文(五ノ十五)を示されて、こうお話しされました。
弥陀の本願にいう、機の衆生(=凡夫の身)が五障三従の女人、とあることから、
本願念仏は、凡夫の身に応じて現れ出でたのであり、まさに女人がお念仏を呼び起こしてきたといえまいか。
凡夫の身とは、自分一人の煩悩ではなく、自分一代では解決できない何代にも及ぶ苦悩を背負う身をいうのでしょう。
自分自身では片付かない悩みを機に、南無阿弥陀仏をあきらかにされてきた女性のご苦労をさして、女人こそ本願の機である、と蓮如上人はいわれるのでしょう。
次に、お文(五ノ二十)を引かれて、続けられました。
「諸仏のすてたまえる女人」とは、釈迦一代では解決できない、仏といえども一代かぎりでは片付かないほどの深い苦悩を抱えて苦労されているのが女人である、ということでしょう。
例えば、我が子のこと、そのまた子のことにまで、我が事と同じく心を砕く、こういう女人の生き方を一代限りでは片が付かない苦悩というのです。一代限りでは決着しない、深い深い苦悩を見つめてきた女人であるからこそ、その呼びかけに応じてお念仏が呼び起こされてきたのです。
何代にも亘って悩み、苦悩し続けてきた女人の叫び(「後生たすけたまえ」)だからこそ、「五劫があいだ思惟し、永劫があいだ修行して、大願をおこして、女人成仏といえる殊勝の願をおこしまします弥陀なり」と蓮如上人がいわれますように、阿弥陀の本願念仏が呼び起こされたのでしょう。(住職聴記)
講義は途中、十分ほどの休憩をはさみながら、四時過ぎまで続きました。
皆さん最後まで熱心にご聴聞されていました。
会は四時十五分頃、恩徳讃を斉唱して閉会となりました。け
今回が本年最後の親鸞教室でしたので、この後大島先生を囲んで懇親会が行われました。席上、講義に関する質疑や意見に、先生は丁寧に答えておられました。
本願念仏と女人について、群馬組そして組長の私としては、さらに続けて先生に聴聞の機会をお願い致したいと考えております。
先生と徳間群馬組門徒会長 住職と大島先生